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Document / R.E.M. 

昨晩は後輩のライヴをみてきました、東京世田谷下北沢で。
日本全国のライブハウスで、懲りもせず毎夜行われているだろうライヴ。
そのうちの一つに過ぎないし、特別な魔法がかかっていたわけでもないけれど、
それが良いライヴだったということについては疑う理由がありません。

全国の純朴で善良なバンドマン諸君、立ち上がれ、そして幻想は捨てたまへ。
君たちは「ふりーたー」と称される、新たな被搾取階級だといふことを自覚したまへ。
「ゆめ」と称されるモノはイデオロギーで、ソレは「蟹工船」の時代から何も変わらぬ。

「ゆめ」なんていう類にぶらさがるな。もしもそうならば「バンド」などやめてしまへ。
闘争していない者は田舎へ帰れば良い。東京が実家なら実家でじっとしているのが良い。
「闘争」というコトバに興醒めした者は今すぐ帰れ。生まれたところに、要は子宮に。

R.E.M.にはいろいろ良いアルバムがある。中でも「Document」は特別だ。
何と言ってもタイトルが良い。芥川龍之介みたいなセンスだ。

R.E.M.はとにかく不可思議だ。正直、何故良いと思うのか自分でもよくわからない。
サウンドにひっかかりはないし、歌にしてもまぁ(モリッシーほどは)耳障りではない。

オルタナティヴ、って言葉はよく聞くけれども、彼らはまさにそうだと思う。
百歩譲ってオルタナの先輩であるヴェルヴェッツからは影響を受けているとしても、
基本的に「クラシカル」な音楽を模倣するという姿勢が皆無なのだ。
R.E.M.の音楽の中には「親」や「師匠」が見えない。「見本」や「参照」もない。

それが良いことかどうかは別として、オルタナティヴとはそういうことなのだ。
ビートルズやストーンズの根底には「黒人に憧れる白人」という構図がある。
それに対して、オルタナティヴはルーツ音楽と手を結ばないことに価値を見出す、
というより、そもそも「何かと近しいこと」に価値を見出すことをしないのだ。

西欧と比較して極端に歴史が浅く、文化や伝統が未熟だと言える合衆国。
だからこそ育まれた半ばヤケクソ、「どうせですよ」みたいな開き直りの文化。
オルタナティヴとは、R.E.M.とは、そんな土壌を前提とした一つのキッチュなのだ。

白人文化への自信や自負が前提となっている、黒人文化への傲慢な憧憬。
天然とも言える西欧的な緊張感のなさ。オルタナティヴはそこから距離を置く。
まるでその事実を自嘲的、自虐的に表現しようとしているかのようだ。

ただ、そんな重めのバックグラウンドとは対照的に「Document」は軽くて明るい。
もっと言うなら、マイケル・スタイプの声を筆頭にひたすら「軽薄」なのだ。
でもその点にこそ、このグループの包含する哀しみや刹那、しなやかさや逞しさがある。
相反するパラメータの同居=ギャップ。それはどうしても魅力的なものである。

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