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Community Music / Asian Dub Foundation 

マンチェスター、マッド・チェスター、セカンド・サマー・オブ・ラブ・・・
などなどその辺の香りがするものが大好物で、ご飯何杯でもいける。
そのムーヴメントは、カサビアンやミュージックのような現役バンドに対して、
好意的な解釈を与えるための「ガイド」になっていると思う、一般的に見ても。

ところで表題のADFだが、彼らもマッド・チェスター以降でマッド・チェスターの
遺産を最もよく継承し、かつ消化したミュージシャンのひとつだと言えるだろう。

「白人が踊る」ところにマッド・チェスターの基本的な特徴があるとすれば、
自身がアジア系であり、その音楽の内容も英国において非常に政治的な
ADFとそれは一見して矛盾するジャンルのようだ。

でもその点にこそ、ADFが他の正統な「白人勢」たちに勝利した理由がある。

結局音楽のスタイルやジャンルというものは、ひとつの道具である。
道具は何かのために使う。実際に価値があるのはその「何か」の方だ。
だが人はいつしか道具自体に価値があると思うようになる。

「流行」にはそれなりの道具とタイミングと「何か」が必要だ。
その道具の部分だけを模倣するのは簡単だが、それを模倣した頃には
つねに、すでに、タイミングを逸しているので、勝利することはできない。
こうして書くと当たり前のようだが、そういう音楽はあまりにも多い。

ここで次のような結論が導かれる。

表現すべき「何か」を持っているものこそが勝利する。
ADFについて言うなら、「アジア系」という英国において非常に重要で
ポピュラーな政治的メッセージを持っていたからこそ勝利した・・・と。

しかし、これはあまりにもありふれた、明らかな誤解だ。
そんな「何か」があるから勝利した、素晴らしいモノが生まれた、というのは、
大昔から全世界に流布され続ける神話であり、サギ師の文句である。

重要なのは「組み合わせ」だ。いや、むしろそれ以外に一切の価値はない。
マンチェスターとアジア、音楽と政治のミクスチャー。
「ダブ」は元々「ラスタ」から生まれたわけで、政治や宗教、民族の問題と
密接な関係にあったことは確かだが、音楽は部分と全体の「入れ子」なのだ。

我々現代の音楽家は奴隷や使用人ではないが、無論政治家でもない。
そうでなければ音楽をやっている意味がないのだ。
ボクはADFの音楽が大好きだが、その理由は彼らの言語メッセージが
政治的だからではなく、いわんや彼らがアジア人だからでもない。

思わず息がつまりそうな、重たくて密室度の高いダブ・サウンド。
攻撃的でキレ味抜群、それでいてどこかコミカルに響くディーダーのMC。
そこにエキセントリックなアジア風の旋律が足されることで生まれるのは、
暗くて明るい、どこまでも突き抜けた「開放感」。気持ち良くって仕方がない。

最近のことはよく知らないが、2nd、3rd(本作)をリリースした頃のADFは、
瀕死とも言えるUK音楽シーンの中でひときわ異彩を放ち、最強だった。

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コメント

マッドチェスターは大好物!
ADF、FUJIのパフォーマンスはかっこ良かった!!

  • 2008/11/02 02:36
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  • みのる
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