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一般市民に告ぐ (K) 

今晩「タモリ's ヒストリーX」なる番組を何気に見たわけだが。
酷い。番組構成どうこうの問題ではない。酷いと思う。駄目だと思う。

NHK大河ドラマの題材となっている「篤姫」にしても、
あんぱんで有名な木村屋の創始者(士族出身、何とやら)にしても、
本来我々「一般市民」にとってシンパシーを感じる対象であるはずがない。

一般市民とは何か。それは封建社会の終わりがもたらした一つの回答を指す。
江戸城の無血開場に奔走した篤姫、勝海舟、いずれもご立派である。
満場の拍手でお迎えしたい、心からそう思う。
とにかく人命を守った、庶民の暮らしを守ったという事実は何ものにも代え難い。

しかしである。それを庶民であった我々自身が崇めるというのはいかがなものか。
江戸幕府が崩壊するまで、日本国の大半を占める百姓は辛酸をなめ続けた。
例えば彼らのために立ち上がった大塩平八郎。
もっと教育の現場でフィーチャーされても良いと思う。

だが結局は城下の庶民も現代日本の一般市民も、寛大な「お上」、熱い「お上」、
リベラルな「お上」にしか、スポットライトをあてようとはしない。
これを長きに渡り虐げられたことによって培われた「ある種の根性」、
そう呼ばずして何と説明できるだろうか?

散々ひどい目に合わされたのに、ケロリと忘れてやっぱり「お上」である。
無血開城おおいに結構。しかし無血のために背負ったリスクもあろう。
敗戦後に日本は変わった、という意見をしばしば耳にするが、
むしろ「市民革命」なくして「明治維新」を迎えたという史実にこそ、
その後につながるフェイタルな病原が潜んでいたのではあるまいか?

自立心がエートスとして一般市民に定着していなかったために、
半端なデモクラシーはファシズムが浸透する土壌へと滑らかな転身を遂げた。
「戦後」とは、あくまでその「土壌」が悲惨なほど悪化したものに過ぎない。

それでも我々は希望を捨てるべきではないのだ。
たもり、たけし云々が支配する偏狭なマスメディアの終焉は近い。
そして今こそ気がつくべきなのだ。ブログでも何でも良い。
落書きをしよう。昔と違って近頃では団結せずとも手を上げることができる。
「ある種の根性」は、自力で破壊するより他に方法はないのだ。

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