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品格とは (K) 

・・・とか何とか偉そうに言っている連中は、鼻持ちならないと思う。
よくもまぁ、いけしゃーしゃーと、それこそ「恥ずかしげもなく」言えたもんだ。
「最近の政治家には品格がない」らしいが・・・アンタにはあるっての!?
ちなみに「アンタにはあるっての!?」は映画ベティ・ブルーの科白から引用。

大体どこまで行っても品格とか品性とかいうもんは、努力じゃどうにもならん、
と、筆者は思うのである。いくら社会が進歩しても、環境要因がゼロになることはない。
「品」の生成のためには、やっぱり「育ち」が不可欠。親の躾と、ある程度の金である。
散々な幼年・少年時代を経た後にそれを取り返そうったって、無理な相談なのだ。

だからこそ、「品格が・・・」なんて言っちゃう奴は信用できない。
極端な話、女だから、とか、チビだから、とかで人を認めないようなものである。
最近では「品格ガイドブック」なるものが、おおいに受けているようだが、
そこには何だか、奴隷根性、小市民根性のコンプレックスが感じられ、悲しい限りだ。


馬鹿馬鹿しい。奴隷も小市民も、品格なんか今までずうっと無視してきたじゃないか!
市民社会とは業績原理に基づく平等の達成を目的とする。
ワイルドな先人たちによって組み上げられたその「平等」を享受したが最後、
君たちはそれらしいため息なんかつきながら、いよいよ「品格」について語るのだ。

若き日、人にやられぬよう、人と同じ、下品で残酷な行いによって自分を守ってきた。
そろそろ恨む奴もおるまい、だが心の底にシコリがないと言ったらウソだ、よし、
こうなりゃヤケだ、知らぬ存ぜぬ決め込んで、今度は「品」とやらで武装しようじゃないか。
うむ、これこそソフィスティケイトされた小市民というものなのかも知れん・・・天晴です。

あのねぇ、僕は自分に「品」があるなんて露も思っちゃいない。
だけど「品」とか「男」を「ジローラモ」から学ぶつもりはこれっぽっちもないよ。
だって、その代わりと言っちゃ何だが、僕には学ばない「誇り」があるんだ。
「誇り」は意志だ。意志は、環境とは無関係に存在できる。

「品」もあるに越したことはないが、ないからって糾弾するものではない。
だが「誇り」なき人間は糾弾されるべきだ。「誇り」とは人間の意志であり尊厳だから。
市民社会は、そんな人間の意志や尊厳を前提に作られたユートピアのはずだった。
しかし・・・今ではむしろ「誇り」なく「品」良き人たちが、その恩恵を貪っているようである。

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