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Deserter's Songs / Mercury Rev 

こないだピンク・フロイドの某アルバムについて書いたが、
その内容について熱心な読者からあるご指摘をいただいた。

同作品収録の「あなたがここにいてほしい」でボーカルをとっているのは、
ロジャー・ウォーターズではなくデヴィッド・ギルモアではないか、と。
ボクは不勉強で、シド・バレット脱退以降は基本的にロジャーがその役を
果たしていると思い込んでいたのだが、言われてみると確証はない。

で、その後、ネットに転がっている情報から確認を試みたわけであるが、
結局「この曲では何某が歌っている」という内容のものを見つけることはできなかった。
というわけで、確かな情報をお持ちの方がいたら、ぜひこっそり教えていただきたい。
「こっそり」が難しいのであれば、このブログにコメントをつけていただいても結構。
その暁には、改めてこの場で訂正広告させていただきたく候。

では気を取り直して、表題の作品について書くとしよう。
マーキュリー・レヴのキャリア中、最もバランスの取れた素晴らしい作品である。
1曲目がまず良い。歌メロはずっとリフレイン、サウンドは油絵の如くどんどん塗り変わる。
そしてエンデイングで呟かれる歌詞がまた素晴らしく、曲をしっかり締めている。
「Bands,those funny little plans,that never work quite right」

「never」という英単語が好きだ。
例えばモリッシーの歌詞に「There is a light,that never goes out」というのがある。
否定語でありながら、その含蓄は悲観や楽観といった単純なものを越えている。
日本語の「わびさび」みたいな雰囲気がある、そんなふうに感じる。

全編のサウンドについては「デヴィッド・フリッドマンの功績でしょ」なんていう、
したり顔の玄人的分析もあるだろう、それは確かにそうかも知れないが、
そんな具合にやりこめて納得するのは、あまり趣味じゃない。

我が国では音楽プロデューサーの芸術的な(金銭的な、は存じません)地位が低い。
良いか悪いかは別として、英米では「プロデューサー買い」が一般的らしい。
哀しい哉、邦楽界ではツカマツチマツタTKくらいが関の山。
そもそも彼の場合、サウンドというよりも楽曲に関する評価だろうし、ちょっと違う。

だからこそ、洋楽フェチは躍起になって「プロデューサー好き」を自称する。
ボクがアマンジャクなだけかも知れないが、何だかそれも違う気がするのだ。

アーティスト(この語もいよいよ怪しくなってくる)と制作サイドは持ちつ持たれつ。
本当は誰のおかげでもない。仕方がないから、アーティストが主役を張っている。
「プロデューサー偏重」は、そういう仕組みを無視したフェチ、変態だと思う。
英米でそんな「フェチ的文化」が一般的なのは、音楽界が進化、老成しているからだ。
日本は明らかな音楽後進国。表面的なところだけを猿真似しても、先はない。

マーキュリー・レヴはこの作品以降、「わざとらしい狂気」とか何とか言われて、
どうやら世間的にはあまり評価されていないようである。
本作が素晴らし過ぎるから、その後を期待するのはわかるけれど、大きなお世話だ。
大体、表現者が「わざとらしい狂気」を演じたとして何が悪い?よくわからない。
サウンドがどうの、ばかりを言う輩は一度彼らのライヴを見たら良い。
そうすれば、全てが笑い種だったってことがすぐにわかる。

アレ?音源のレビューだってのに、一番駄目なオチになってしまった。
とってつけたみたいになるけれど、最後の曲も良い。
どちらかと言えば重い雰囲気の本作中で、意外なほどにダンサブルな曲だ。
「never」の解釈同様、明るいような暗いような、悠久の時間が流れていてたまらない。

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Wish You Were Here / Pink Floyd 

ピンク・フロイド最大のヒット作「狂気」の次作がコレである。
しかし「あなたがここにいてほしい」という邦題が何とも面白い。
純粋な日本語としてはやっぱりおかしいが、それが「訳」だということを考えると
言語の交換不可能性みたいなものがうまく表現されているような気がする。

そもそも他国語同士をイコールで結ぶこと自体が不可能なのだから、
原題の雰囲気や意図といった曖昧なものを、曖昧なままで残しておく。
「意味」というはっきりとした形ではなく、「考え方」程度の何となくの内包。
この邦題がそんな意図をもってつけられたものだとしたら、それは大成功だと思う。

一聴するに、地味以外の何ものでもない内容である。
ボクがこのアルバムを買って、一度聞いてみて地味だと思ったところまでは良いが、
なぜ二度目を聞いてみようと思ったのか、その原因は自分でもわからない。
でも、その後は聞くたびにボクの中での評価が上がっていく。不思議な作品だ。

ボクはシド・バレットの声とギターが好きである。
もちろん、このアルバムに彼は登場しない(歌詞には彼を指す人物が登場するが)。
そして、残念なことにロジャー・ウォーターズの声があまり好きではない。
シドのプレイに溢れる魅力と比較されることは、ロジャーにとって大きな災難だったと思う。

しかし、ボクは本作を聞いて初めて、ロジャーの歌も良い、と感じた。
もちろん全曲についてそれが当てはまるというわけではないが、
声質の好き嫌いを越えた「歌自体の良さ」があることは否定できない。

タイトル曲である「あなたがここにいてほしい」。
ギターだけの静かなイントロから、彼の歌声が入ってきた瞬間。
恥ずかし過ぎる稚拙な表現で申し訳ないが、文字通り「ドキッ」としてしまう。

このアルバムにはそういう決定的な瞬間がいくつかある。
1曲目の「狂ったダイヤモンド第一部(!)」。
冗長なイントロ(インスト?)が終わり、やっとの思いで入ってくる歌の直後、
次のボーカル・フレーズまでの短い時間に笑い声のサンプリングが挿入される。
このタイミングが何とも絶妙で、やはり予想外に「ドキッ」とさせられるのだ。

「狂気」と比べれば全体として「地味」。
それは間違いないけれど、ディテールはさすがだなぁ、といった感じである。

「狂気」に至るまでの初期フロイドの作品(1stを除く)は、正直退屈だ。眠い。
ボクとしてはそんな作品群のことも決して嫌いではないが、別の次元でそれらに対し
「散漫」あるいは「緩慢」という印象を持っていることも確かなのである。

この点で言うと、本作はちょっと違う。
「狂気」で大成功を収めた後の倦怠感と、それに何とか抗しようとする力。
オアシスの「ビー・ヒア・ナウ」は前者に飲み込まれた問題作だったと言えるが、
アレンジの「冗長さ」といった面では、本作と似たり寄ったりなところがある。

ただ、フロイドの場合、始めからある意味「冗長」な作品を送り出していたわけで、
その最も洗練された形が「狂気」ではあるけれど、やっていることは元々同じ。
だからこそ彼らがオアシスのように自己崩壊することはなかった。

安易なゴージャスさには逃げず、地味であり、それでいて冗長。
噛めば噛むほど味が出る、まさにスルメのようなアルバムである。

Raygun Suitcase / Pere Ubu 

あの、正直よく知らんのだ、ペル・ウブのことなんて。
ペル・ウビュのことなんて。そんなこたーどーだって良いのだ、本当は。

よく、誰彼はいつ頃が一番良かった、とかそういう話を耳にする。
それは確かに「一般的に」そうかも知れないが、ボクにとってそうかはわからない。
もちろん「一般的に」そうであることは、ボクにも当てはまる可能性が高い。統計的に。
音楽やアート(!)に関しても、このことは例外でないだろう。

ただ30も近くなってくると、曲がりなりにも分別というものがついて来る。
色々と、どーだって良くなる。だからと言ってそれは「投げやり」と同義ではない。
もしもそうなら、ボクはこんな無意味な文章を書かないし、哲学書だって読まない。
シラフなのにジャンキーみたい、そんな年齢に差し掛かっている気がする。

とにもかくにもキャリアの長い彼らだから、その中から一つを選ぶのは大変難しい。
ましてや、ボクの場合、たまたま中古レコ屋で巡りあっただけの話だ。

でも、こういうことって、我々が生きていく上でとても重要なことだと思う。
「たまたま巡りあった」ことと「分別」や「センス」は互いに貫入し合う内容で、
どちらか一方が優位だとか、そういう類の問題ではない。

現時点で、ペルさんについてボクは、この作品しか「知らない」。
だけど、ボクは間違いなくこの作品が好きだ。「大」好きってほどじゃないけど。
少なくとも、この音を聞きたくなる瞬間がある。それって結構すごいことだ。
「好きだ」と公言したくなるものは多いが、ある特定の時間、シチュエーションで
無条件に聞きたくなる音楽、音というものはそんなにはないんじゃないかと思う。

何せキャリアが長いので何とも言えないが、良くも悪くもUSオルタナの重鎮である。
今宵言いたかったのは、「重鎮」ってもんに気をつけろ、ってことだ。
ボクは間違いなく、今回紹介した作品が好きだが、一般的には駄作かも知れない。

クラシックがロックになったということは、音楽の世界が封建制度を脱し、
権力者や創作者がその価値と権利を一般市民に譲り渡したということを意味する。

だからこそ、権力者、創作者、一般市民の全員が平等に責任を持たなければならない。
それぞれが、それぞれの立場で、それぞれに見合ったアンテナを持ち、
最大限それを張り巡らせることが、良きもの、正直なものを生み出す土壌となる。

とにかく、「重鎮」には気をつけろ、だ。
名作や記念碑的作品がアナタにとって最高とは限らない。
いや、むしろ「限らない」どころか、全然アナタは好きじゃないかも知れない。
その可能性があること、それが我々のような世代にとっての比喩でない「幸福」である。

ボクはこの先、いずれは必ずペル・ウビュの、いわゆる「名作」を聞くだろう。
良い作品かも知れない。でも、それはボクが現時点で「良い」と思う思いの否定ではない。
この音が聞きたい、と今晩彼がCDラックから引っ張り出されたことは、消しようのない事実なのだ。

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